宇佐の山々

宇佐の山々

2024年3月17日日曜日

ディスプレイ三台に!

 デスクトップ用ディスプレイ(退職祝いに長女が買ってくれたMITSUBISHI製)を東芝ノートのサブにしマルチ化を図っていたが、オヤジさん用のテレビを三代目としてノートの上の位置に付けてみた。GOOGLECASTで孫の写真をスライドショーで!と思っていたのだが、10年前に買ったスティックパソコンがあるのを思い出しそのディスプレイにした。
見かけはいいのだが、使い勝手は所詮スティックパソコン🤣


 図書館主催の「おもしろ歴史ピクニック」に参加した。今回は、県立歴史博物館の企画展「ものがたる絵画」の見学だった。展示物の中に江戸末期から明治にかけて全国を行脚した放浪の絵師蓑虫山人(美濃出身、本名:土岐源吾)の宇佐滞在時の作品があった。わが父は岐阜出身、わが両親の仲人は土岐さん、父方祖父の名は源吾!と、何となく縁を感じ図書館が販売する「蓑虫山人絵日記」を買っていた。されど、作品に登場していたのは、わが町古刹の恥ずかしながら!だった(笑)


2024年3月5日火曜日

「心の健康会議」にて浪人時代のカウンセラー藤原先生との半世紀ぶりの再会

 

開演時間の10:30に間に合うよう車を長田に置き柳ヶ浦より電車で出発。9時半前に小倉駅に到着したがバス及びタクシーのりばは長蛇の列。会場の北九州ソレイユホールヘノバスルートは二つあったが列の短い方に並んだ。幸い、20分弱待ったらバスが来て乗れた。バスの運転手より、「今日は何があるんですか?」と聞かれる!

会場はすでに満席、そこしか空いてなかった最前列の席に座った。おかげで久恒には会釈で挨拶できた。

以下はFACEBOOK投稿






啓一投稿のFACEBOOK及び当日私の録音で2種類のビデオ作成!

ビデオ1:https://youtu.be/6HeYMXC4tM8

ビデオ2:https://youtu.be/Z0j-HzmTeLM


3月7日 啓一ブログ

2024-03-07

仏閣は人物記念館。整体。会議。「心の健康会議」の余波。3月1日から6日までの、大分県中津市での高校同窓会、北九州市小倉でのシンポジウム、京都・奈良・京都の仏閣巡りの強行軍を終えました。今回の収穫の一つは、仏閣は建立者がいる人物記念館だったという発見です。奈良の興福寺は藤原鎌足・不比等。東大寺は聖武天皇。法隆寺と中宮寺は聖徳太子。京都の東寺は空海。西本願寺は親鸞。金閣寺は足利義満。銀閣寺は足利義政。清水寺は坂上田村麻呂と大西良慶。

3月3日の北九州市でのシンポジウム「心の健康会議」での講演の余波があります。参加した友人の宇野千葉雄君から、映像と音声を組み合わせた作品が届きました。シンポジウムの全体の様子がわかり、私の講演部分の録音が聞き取れる編集となっていました。公表していいかを調べてみます。

このブログは毎日の訪問者は、このところ200台なのですが、この数日間は400台から500台で、本日は600に迫る勢いになっています。明らかにシンポジウムで関心を持っていただいた臨床心理士の方々のアクセスです。

2024年2月20日火曜日

久々の「宇佐おもしろ歴史ピクニック」

今回は、古代の貴族に対する封録制度が地名として遺る封戸地区小学校に集合しての
横田国臣記念碑、立石・石塚貝塚古墳の見学と解説だった。

宇佐郡地頭伝記(尾立維孝著)の中に
 「姓不知、封戸郷長洲城主長洲刑部左衛門尉吉綱、応永五年大友氏艦に与し、大内盛見と戦いて利あらず、因て滅ぶ。」
とある。当時、わが郷里長洲は封戸郷だったようだ。








記念像の前からは正面に両戒山、その左は国東六郷満山と宇佐宮との結節点と言われる津波戸山(六郷山きっての法華経信仰の霊地とされ、水月寺奥の院には六郷山を開いた仁聞が写経の際に筆頭で岩をつついたら水が出たとされる「硯石水」と呼ばれる湧水もみられる。)右手は10号線やJRの電車からも見ることができるUSAの表示看板のある栗山を望む眺望がひらけていた。
平安時代855年、津波戸山で修行に励んでいた能行聖人(宇佐氏の裔)の前に仁聞菩薩が現れ「六郷の山々を修行するには二つの道があり、一つは後山の岩屋(宇佐市) から横城の山(杵築市)を横断する道、二つ目は国東半島の 海岸部の山々を巡る道がある。仁聞の跡を継ぐ者はこれらの修行の道を巡るべきだ」告げ、と国東半島の峯々の巡行路を示したとされている。
以下WIKIによる六郷満山の解説
 六郷満山(ろくごうまんざん)は、大分県国東半島一帯にある寺院群の総称である。六郷は両子山を中心とした山稜の間に開かれた6つの郷、満山はそこに築かれた寺院群を指し、古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えた。
伝説によれば、仁聞菩薩が、養老2 (718)頃 に、国東半島の各地に28の寺院を開創し、69千体の仏像を造ったといわれている。実際には、古来国東半島にあった山岳信仰の場 が、奈良時代末期から平安時代にかけて寺院の形態を取るようになったものである。
古来の山岳信仰が、近隣の宇佐神宮及びその神宮寺である弥勒寺を中心とする八幡信仰、さらには天台系修験と融合した結果、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されたと言われる。今日でも、33の寺院と番外に宇佐神宮を加えた「国東六郷満山霊場」(国東半島三十三箇所)が構成されている。

長洲のわが畑付近からみた津波戸山、両戒山

その後、立石貝塚と石塚貝塚へ
 頂いた資料に下記があり、点線部が古代の海岸線として落書きをしてみた





図書館で旧森湾に関する記述がある書籍発見!











2024年1月18日木曜日

人生花づくし

親の教えは きくのはな

人の悪くち くちなしで

頭は垂れて ふじのはな

笑顔あかるく ひまわりで

愛をはぐくむ ばらのはな

心清らか しらゆりで

世は移ろいて あじざいの

月日は早く たちばなで

散り際さやか さくらばな

先は浄土の はすのはな




2024年1月9日火曜日

長田幸子(叔母)旅立つ 享年99歳(満89歳)

 12月30日5:40 施設にて。見回り担当者が来た時には、息はなかったとか。

なんでも二人の幸子(T14年生)シゲカ(S2年生)の姉妹だった。

お袋と同じ城斎場での、1月2日17時通夜、3日10時葬儀だった。

令和5年蓋棺録 年明け八代亜紀が叔母と同じ日に亡くなったとの報道