宇佐の山々

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2024年8月23日金曜日

平家伝説と長洲の初盆行事

親戚の初盆会会食での話。隣に座るわが父は宇佐航空隊にいた!との話から⇒湯川れい子の兄(海兵71期桜花隊)の講演を聴きに行った事がある→それは宇佐市塾が主催→宇佐市塾の塾頭は、教覚寺住職で神宮の大宮司宇佐公通(妻は平清盛の娘)の末裔⇒しっちょるかえ~❓安楽院のお墓は実は安徳天皇の墓⇒安徳天皇の入水は替え玉⇒八幡宮の神託により公通の嫡男公仲が身代わり! へ~と聞いていた(笑) 諸説あるものだ!



長洲の初盆行事

1180年 源氏挙兵

1183年 安徳天皇西海に下る

 8月 大宰府に入るが源氏に責められ、宇佐神宮、屋島へ

 9月 長洲に上り、森山にある宇佐神宮大宮司宇佐公通の館へ

   /13 宇佐神宮にて歌会

      この夜、平清経(小松内府と呼ばれていた平重盛の三男)長洲の浜に入水

 *宇佐宮への勅使をつとめたのが平清経。京都に帰りたいとの願望に対し神の託宣は      「世の中のうさには神もなきものを、何いのるらん心づくしに」とつれなかった。平家物語では、この託宣は、平宗盛の夢の中とされている。

この清経物語をあわれんだ長洲住民は、駅館川河口を小松浦と呼ぶようになる

また、初盆行事に据え燈籠(御殿燈篭とも呼ばれる)を作るようになる

*長洲に住みついた平家の落人が、盆に京都を偲ぶと共に仏の供養のために

据え灯籠を作り始めたとの説もあり、いずれにしろ長洲と京都とのつながりが

伺える。

後日このような説を図書館で発見




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