宇佐の山々

宇佐の山々

2024年8月29日木曜日

台風10号 宇佐八幡様のご加護か?影響なし!

OkコージーUp聞く:田原総一朗、宮崎哲也

▼自民党総裁選 小泉元環境大臣が9月6日に出馬会見へ

森と中川秀直が小泉がいいと言っている!

▼日中友好議員連盟、二階元幹事長 中国の王毅外相と会談

二階はもともとこの役割

▼台風情報 鹿児島県志布志市からレポート

 南日本放送・岩崎全智アナウンサー

▼立憲民主党・泉代表 代表戦出馬「断念はない」と強調

何故泉でダメなのか?維新は、公明に変わり自民連立を狙っている

▼岸田総理、国連演説を見送りへ

辞める人間が行って、しゃべっても仕方がない

宮崎は田原を意識してしゃべっている

田原は意外と安部を評価していた!のではないか?

インド太平洋構想を評価!

高市はやばいと言っている。理由は強い日本をつくろうとしているから!

Wコメンテーター

田原総一朗(ジャーナリスト)

宮崎哲弥(評論家)

2024年8月27日火曜日

アクティブシニア倶楽部ZOOM会議初参加

 「啓一の結果報告」にコメント投稿

投稿したコメント

傍聴席に座っているだけでいい!と思っていたのですが、ビックリでした!🤢 実家での単身赴任あと何年続くか分かりませんが、台所時は「アレクサと対話!」物干し時や掃除機を持った時は「名言との対話AI読上げを骨伝導で!」机に座ったときは、あなたの発信や皆様の投稿を「図や動画に!」でせいぜいアクティブの振りをしようかと,,,🤣





2024年8月23日金曜日

平家伝説と長洲の初盆行事

親戚の初盆会会食での話。隣に座るわが父は宇佐航空隊にいた!との話から⇒湯川れい子の兄(海兵71期桜花隊)の講演を聴きに行った事がある→それは宇佐市塾が主催→宇佐市塾の塾頭は、教覚寺住職で神宮の大宮司宇佐公通(妻は平清盛の娘)の末裔⇒しっちょるかえ~❓安楽院のお墓は実は安徳天皇の墓⇒安徳天皇の入水は替え玉⇒八幡宮の神託により公通の嫡男公仲が身代わり! へ~と聞いていた(笑) 諸説あるものだ!



長洲の初盆行事

1180年 源氏挙兵

1183年 安徳天皇西海に下る

 8月 大宰府に入るが源氏に責められ、宇佐神宮、屋島へ

 9月 長洲に上り、森山にある宇佐神宮大宮司宇佐公通の館へ

   /13 宇佐神宮にて歌会

      この夜、平清経(小松内府と呼ばれていた平重盛の三男)長洲の浜に入水

 *宇佐宮への勅使をつとめたのが平清経。京都に帰りたいとの願望に対し神の託宣は      「世の中のうさには神もなきものを、何いのるらん心づくしに」とつれなかった。平家物語では、この託宣は、平宗盛の夢の中とされている。

この清経物語をあわれんだ長洲住民は、駅館川河口を小松浦と呼ぶようになる

また、初盆行事に据え燈籠(御殿燈篭とも呼ばれる)を作るようになる

*長洲に住みついた平家の落人が、盆に京都を偲ぶと共に仏の供養のために

据え灯籠を作り始めたとの説もあり、いずれにしろ長洲と京都とのつながりが

伺える。

後日このような説を図書館で発見




2024年8月22日木曜日

宇佐神宮拝礼作法の四拍手について

 宇佐神宮拝礼作法:二礼四拍手一礼については

・宇佐神宮は天皇家高祖神のお墓である。故に四拍手は死拍手である。(月刊歴史塾)

・応神天皇、神武皇后親子は邪馬台国(卑弥呼)を滅ぼした。その祟りをおそれ比売大神と      して二之殿に祀り、四回の柏手を打った。出雲大社の四拍手も、大国主命が治める出雲の国を乗っ取った大和勢力が、その祟りを恐れ大国主命を出雲大社に祀り、4回の丁重な拍手で拝んだ。(井沢元彦説に基づく是永宇佐市長私見)

との説がある。美談化された「出雲の国譲り」、実は乗っ取り!について、松岡正剛千夜千冊より図にしてみた。








2024年8月20日火曜日

伊藤洋一RoundUpWorldNow中国特集

 8月16日放送中国特集柯隆氏の社会主義が最も不向きな国は中国、最も向いている国は日本に共感!漫画にしFACEBOKK投稿


2024年8月16日金曜日

「平和の灯」準備の手伝い

 19:30からの式典の準備を16:00から手伝ってきた。

高校時代の恩師植山先生ご夫婦の句碑を見つける。




2024年8月13日火曜日

仮名手本忠臣蔵の仮名手本とは?

久恒啓一氏主催図解塾8月のテーマは「日本を知る105章」から忠臣蔵和歌がテーマ

「日本を知る105章」INDEXはいろは47文字

 


私は講師がなぜ105章の中から、忠臣蔵と和歌を題材に選んだのか想像してみた。

仮名手本忠臣蔵の仮名手本とは?を検索し、納得!

図解も数値としゃれで考えてみよう!がその答えだった!と勝手に想像🤣

(題材書籍「日本を知る105章」のINDEXは、いろは47文字)


仮名手本とは


いろは仮名の数に合致する四十七士の意味、武士の手本となる忠臣を集めた蔵の意味のほか、大石内蔵助の蔵を利かせたものまた、仮名手本忠臣蔵は赤穂浪士の討入から奇しくも47年後に書かれている

親父ギャグで

かなでほん ちゅうしんぐらは かなのほん いろはしじゅう しちもじなりき (笑)


当日の受講生の感想の一部より

忠臣蔵:「忠臣蔵」は1701年元禄時代の赤穂事件をもとに、1748年に「仮名手本忠臣蔵」として人形浄瑠璃で初演されて以来、浪曲や映画に広がり、国定教科書に掲載されたり、ユネスコの文化遺産に登録されたり、日本人の心の古里として永遠のベストセラーを続けています。「忠臣蔵」は大変な長編ですが、図解にすることで理解しやすく、説明もしやすかったです。

和歌:五七五七七で万葉から現代まで俯瞰。万葉の頃に「倭歌」として始まり、平安・鎌倉時代に「人の心」を読む「和歌」として日本文学の中心となり、近代に入ってふたたび「短歌」として、個人の「より自由な表現」を積極的にとり込み、さらに「TANKA」として世界にまで広がりつつあることが分かりました(発展してます)。「忠臣蔵」も「和歌」も知れば知るほど深掘りしたくなるテーマでした。


親戚の初盆会

8月10日(土)11:00~妙満寺若御院家読経

食事は高森の丸萬

IPHONEでこの写真を見せ、話題にしようとしたが見つからず!

IPHONEの「カンペ利用」も準備が必要か?(笑)

親父殿の隣の女性は杉坂せつこさんだった(杉坂さん夫人)


食事の時、隣が甥夫人の令兄

以下会話した内容

・実家は今の家ではなく竹林の中に屋敷があった

・高森城の城主であった黒田官兵衛の弟(兵庫頭)に仕えた武士の末裔との事

・わが父が宇佐航空隊にいたのか?の話から、

・特攻桜花に関する湯之川守正氏(海軍大尉、海兵71期、桜花隊分隊長で湯川れい子の次兄)の講演会に行った事がある。

*その講演会は2012年宇佐市塾が主催した。宇佐市塾の代表は教覚寺住職の平田さ    ん。平田さんは宇佐神宮大宮司宇佐公通の末裔との話をした。

すると安楽院の宇佐公通の墓は、安徳天皇の墓ではないか?理由は公通の墓にしては立派すぎる。「壇ノ浦で入水した安徳天皇は実は替え玉で、生き延びていた!」との話になる。

帰宅し、ググってみたら下記が見つかる!



2024年8月3日土曜日

 2020年8月 松岡正剛(75歳)千夜千冊 1750夜:益田勝実の仕事

前書きでアルゲリッチにふれ😜

マルタ・アルゲリッチ(1941-)

5歳からピアノを学び、8歳でモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いてデビュー。フリードリヒ・グルダらに師事、24歳でショパン国際コンクールに優勝して以来、実力、人気とも世界トップのピアニストとして活躍を続けている。マルゲリッチはブエノスアイレスの生まれだが、父親はカタロニアの血の持ち主で、母親はベラルーシのユダヤ系移民の改宗プロテスタントである。一度目の結婚相手が中国系の指揮者ロバート・チェン(陳亮声)、二度目の相手がスイス人の指揮者シャルル・デュトワ、三度目が英米系のピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチで、いずれも離婚した。 彼女はピアノが絶妙であるだけでなく(若い頃から天才と呼ばれていた)、スペイン語、フランス語、英語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語にも堪能だ。どんな言葉にも乗り移れるのであろう。絶妙な指づかいによるピアノの演奏ぶりも、シャーマニックなところがある。

 そういう多才多感で多籍多語多音なアルゲリッチを、映像作家の3女がインタビューしながら撮っているドキュメントを見るのは、青息吐息の日本と日本人にいささか失望しつつあるぼくには、さまざまな意味で示唆的に映ったのだ。かくして6日、9日、15日の被爆日や敗戦日が過ぎて、お盆のアルゲリッチを見ながら(聴きながら)、75年目の夏についてああだこうだと頭(こうべ)をめぐらし、夜明けの書斎に戻ったのである。

広報うさ八月号 特集 特攻隊員の遺した言葉

#千夜千冊 #益田勝実 #松岡正剛 #宇佐市塾