宇佐の山々

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2024年12月15日日曜日

宇佐市平和ミュージアム建設反対投稿

 


GOOGLEレンズによるテキスト化


宇佐市平和ミュージアム 建設に反対する 柳ヶ浦地区松尾 俊作 

等の明示がない。建設後の事業計画がない。 少子高齢化の時代の物公事変は、採算が取 れないものは建設すべきではないと考える。施設 はは・人件費は? ・生子化の予定は建設してか ら何年目を考えているか? 市が行う事業は公共性が高いので民間企業と はい、益を出すことは必要なく、毎年赤字経 愛を止むを得ないと考えているのであれば大問 考え違いもだしい。道路などのインフラ 事業と宇佐市平祖ミュージアム(後、平初 とする建設は本質が異なる。 平和の様な公共事業は、我々の税金で赤字 補給することになり、将来の子供達に大きな 会を根ことになる。 今般「人口戦略会議」が公表した様に、今後 地方は少子高齢化により人が加速度的に む。そのためが減り、 物の維持管理 はらみ、赤字が持不可になった 時どうするつもりだろうか。赤字補前提の幸 美は考えられないし、考えるべきではない。 2 建主旨が 宇佐海軍航空隊、攻だけを置い ているようにしか思えない。 宇市において大東でされた方々 は何名おられるのか知っている議員はどのくら いいるだろうか。かけた先入の 霊を敗戦以降、市は何かやってきたのだろうか。 私は知らない。広島や長崎の原爆の日の黙祷は するが、土の先人の御霊はどう祀りして いるのか。 戦死された先人のお陰で今の我々の生活、平 利がある。半和を標榜するなら航空隊のことよ り。先ず郷土の先人の御霊を敬うべく市として の行事を行うべきであろう。 平和建設より小学校や中学校でが上を命 をかけて守ってくれた先人のことを教える教育を することこそ平教育ではなかろうか。 それこそが平和をする人々の主旨ではな いか。これにはたいそうな施設は必要ない。 費 よりは遥かに安価で済む。 3. 百歩譲ったとして、大分県歴史博物館が有る。 と共同での施設内に土の先人の御霊の 雪と空隊の手を平気として展示す れば良いと思う。その実現の為の努力を市長も 造はもずくさである。 4.その他に、この様な施設をつくれば行政の天 下り先の懸念がある。 人口が増えていた時代とは異なり、市長や議 が物を作る時代は終わった。 今は人口減少をどう防ぐか、若い人たちが結 しやすい、子供を育てやすい街づくり、企業 や用を増やし宇佐市を出なくて良い街づくり をどうするか。最重要ではなかろうか。 先日、市役所ですからあ才の男女の宇佐市 出入者のデーター年間取ってもらった結婚適 齢の女性が男性より多く宇佐市から出て行っ ていることが男性が結しようとしても 相手が居ないという手であり。由々しき現状だ。 平気より。若い女性をいかに宇佐市に踏み とどませるかの策を、会議は を上げて考えるべきだと思う。

 松尾会員の意見について 小倉正五 会服128号の「編集後記」に、平和ミュー ジアムの建設早期実現を望む、と言う趣旨を記 したことに対し、松尾会員より反対意見が寄せ られました。 本会では発足以来、一貫して「市立歴史資料 館建設の促進」を事業計画に掲げて活動してい るため、平和についても歴史都市宇佐のまち づくりに必要と考えています。 平和は、市当局によって市民も参加した各 種会議を開いて具体的計画が策定され、市議会 の議決を経て2020年の完成予定が公表され ていましたが、物価高騰などにより不落札と なって中断していました。そのため市は財政状 況などを考慮し、模を縮小した計画案を令 6年の3月議会に設計委託に係る経費を上 し、議決されることとなったようです。 平和と争遺跡は、宇佐の近現代史を理 するうえで大切であり、宇佐神宮立博物館 風土記の丘古墳公園などとともに「歴史都市宇 佐の魅力を発信するためにも、教育、觀光、 をもたらすことが などの面で目 期待されます。 しかし、ご指換のように平和が少子化社会 で負の遺産となることのないよう留意する必要 があります。平和の広場などで彼を する学生らしい平和の祭典も重要です。 松尾会員のご意見の多くは議会に対して のものでもあり、本会で協議するとともに、紙 を通じて市議会議員各位にお伝え致 します。 本会発展のため貴重なご意見をお寄せいただ いた会員に深く礼申し上げます。

2024年12月9日月曜日

 NETFLIXで仁ーJINを見る。原作が漫画、しかも著者村上もとかは1951年生まれの同世代人間だった。早々、他の作品を図書館で❣と検索したら、JIN以外は無し。

エッセイ「終わりなき旅ー僕は漫画をこう創ってきた」が中津図書館にあった。



2024年10月21日月曜日

相変わらずのサンモニ連😒

 寺島さん、頼むから元法政大学の学長おばさんレベルに落ちないで😢😢😢







2024年10月17日木曜日

書評記事

今朝、啓一より依頼があり早々作成し送った。

年明けに発刊される啓一責任編集の雑誌:「イコール」の書評記事らしい!掲載されれば、現役時代の社内誌以来の投稿記事となる。




2024年10月13日日曜日

2024年10月7日月曜日

動画:戦争と宇佐神宮を作成しYOUTUBE UP

 携帯のボイスメモにあった宇佐市民図書館主催「宇佐おもしろ歴史文化講座」2018年12月版をAIで要約、動画化した。

要約内容:昭和6年の満州事変、12年の日中戦争という形で、日本は大陸に向かって突き進んでいきます。この時期とほぼ同じくして、宇佐神宮では昭和7年から16年にかけて、大規模な改修が行われました。宇佐神宮は官幣大社であり、当時の日本は神道が国家宗教とされていたため、国が宇佐神宮を維持・管理していました。

宇佐神宮は田舎に位置していたため、じゅうぶんな整備がされていませんでしたが、国家の聖域にふさわしい施設にするために国費が投入され、この神社は立派に整備されていきました。この昭和の大改修によって、宇佐神宮の景観は大きく変わることになります。

明治時代に行われた神仏分離以前、宇佐神宮はえど時代までの神仏習合の伝統を継承していました。しかし、明治維新により西洋との交流が始まると、神仏習合の文化は西洋から理解されないだろうという考えもあり、神道と仏教が分離されました。明治政府は古代の日本を理想とし、仏教を神道よりも下位に置く政策が進められました。これにより廃仏毀釈が行われ、仏教は抑制されていきました。

昭和の時代に入り、世界と戦争をしようとしていた日本は、宇佐神宮を立派な聖域にしようとしました。ご存知のように、宇佐神宮はかつて隼人の乱や壬申の乱など、国家の危機の際に重要な役割を果たしてきました。武運の神であるはちまんしんは、外敵が現れたときに国を守る神として崇拝されてきました。そのため、戦争が現実のものになると、はちまんしんを祀る宇佐神宮を立派にしようという動きがあったと考えられます。

昭和16年にかけて行われたこの大改修の責任者は、主に陸軍大臣でした。一方で、昭和14年には海軍がやなぎがうら地区の大規模な水田地帯を造成し、練習航空隊を設置しました。宇佐神宮を中心に、陸軍と海軍がそれぞれ拠点を構築していきました。昭和16年の日米開戦時には、宇佐の航空隊も戦争に参加することとなります。

こうして、戦争が国家のちゅうすうに再び関わってくる時代が訪れます。それまでは、戦国時代以降、宇佐神宮は領地を武士から奪われ、小さな田舎の神社となっていましたが、時折大内氏や細川氏といった戦国大名が手厚く祭ることもありました。しかし、継続的に支援されることは少なく、宇佐神宮は疲弊していったのですが、先ほど話した通り、昭和に入り、国家の支援によって宇佐神宮は再び立派なものになったのです。

宇佐神宮の昭和の大造営にはこう言ったことが隠されているのです。