宇佐の山々
2025年5月3日土曜日
今日の学び 啓一ブログより
「名言との対話」4月28日。星野富弘「幸せという花があるとすれば、その花のつぼみのようなものだろう。辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である」
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - 2024年4月28日)は、日本の詩人、画家。群馬県勢多郡東村(現:みどり市)出身。享年78。
2005年にみどり市富弘美術館(当時は村立)を訪問。「詩画」という独自の表現方法を編み出した星野富弘には、ファンが多い。群馬県勢多郡東村に生まれた富弘は群馬大学を卒業後、中学校の体育教師になるが、新任で赴任した直後の6月17日に器械体操のクラブ活動を指導中に首から落下し頚椎を損傷、手足の自由を失う。
「星野富弘 ことばの雫」から
結婚ゆび輪はいらないといった
朝、顔を洗うとき
私の顔をきずつけないように
体を持ち上げるとき
私が痛くないように
結婚ゆび輪はいらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で
私の許に来たあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から
金よりも 銀よりも
美しい雫が落ちている
花から
とりのぞける
ものはない
花に
付け加えられる
ものもない
ちかごろ
花をふたつ描くことが多くなった
妻よ
ひとつは
おまえかも
しれないね
絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。
欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、
調和のとれた作品になるのです。これは私達の家庭も社会も
同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、
助け合うのは自然な事です、
畑も田んぼも山も一つの美術館で、
村の人たちがつくる作物が
村の人たちの作品だと思う。
−−−−−
、、
苦しむ者は、苦しみの中から真実を見つける目が養われ、
動けない者には、動くものや変わりゆくものが
良く見えるようになり、、、
変わらない神の存在を信じるようになる。
十字架に架けられたキリストは、動けない者の苦しみを
知っておられるのだろう。
−−−−
、、
たった一度しかない人生ですから、社会がどうあろうと、
人が何と言おうと、そんなことにひるむことなく、
大切な自分の人生を、志を持って進んでいけたらいい。
志という言葉の中には、日本人らしさ、まわりに流されない
生き方というものが含まれている気がします。
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