宇佐の山々
2025年5月29日木曜日
OKコージーの追いかけ
PODCASTのニュース項目をWORDに貼り付け、コメンテーターの「へ~」と「なるほど!」を付記していくようにしてるのだが、さぼり多く久々にWORDを開く。
GPTに手助けをお願いしたら、瞬時に表形式にまとめてくれた。ついでに、新農水大臣について聞いてみたら、「✍️ 一言でまとめると…
小泉進次郎は「壊す力」はあるが、「創る力(制度の骨太設計)」に課題あり。
今回も、インパクト重視の一手が国民にどう評価されるかが、今後の試金石になります。
との回答が😂
2025年5月28日水曜日
2025年5月24日土曜日
久恒啓一の幸福塾 の修正投稿(コメント者写真削除)
2025年5月23日金曜日
宇佐市塾5月例会
OBSの番組収録で来市していた二代目林家三平氏を招いての月例会、例会には出席されなかったが戦時中の「国策落語」と短い?話の二席を聞くことができた。
彼の話から父親(初代)は特攻兵士だったことを初めて知る。ゆえに戦跡等をまわっており、今回来られたのもその延長とのことだった。
初代は大正14年生まれ親父より一つ上の大正14年生まれ、旧制中学卒業後海軍へ。笑いで人々を救いたいの思いはこの背景にある!と言われている。
その後、例会では先の平和ウォークの反省会。
私のHPを観たという塾生との出光話になり、平和ウォーク駐車場係を材料にFACEBOOK投稿。
海賊と呼ばれた男の海賊版
2025年5月13日火曜日
2025年5月11日日曜日
武蔵二天一流宗家第九代清永忠直氏はわが出身中学の教師 息女は同級生
宮本武蔵 愛用の木刀宇佐神宮に
俗に「二刀流」といわれる「兵法二天一流」の祖・宮本武蔵(江戸時代の剣聖)愛用とされる赤樫(かし)木刀(長さ約110センチ)が大分県宇佐市の宇佐神宮に保存されている。二天一流は家督で継承せず、弟子の中から心技体に優れた人が継いでいる。木刀(一説にはつえ)の紛失を防ぐため弟子たちが神宮に預けることにしたのだという。
宇佐市の会社員で、二天一流十二代目・吉用清さんによると、赤樫木刀は武蔵が晩年に作ったもの。つえ代わりにもしたため、先端がすり減っている。十代目・今井正之さんらが2004年に神宮に保管を依頼した。
武蔵の容姿を伝える江戸時代の書「兵法大祖武州玄信公傳(伝)来」によると、「老年になり、刀を持たず五尺つえを携えていた」と、つえの存在が記されている。木刀には、武蔵自ら彫ったと伝えられる二天一流の極意「實(実)相圓(円)満之兵法」(互いの力量を認め、剣を交えず別れる)などが残る。
二代目宗家となった寺尾求馬助に武蔵が兵法三十五カ条と共に赤樫木刀を与え、相伝の証しとして代々伝えられてきた。八代目・青木規矩男さん(熊本市出身)が1947年に台湾から引き揚げる時、木刀を守るため、台湾の知人に預けた。
赤樫木刀は58年、青木さんの手元に戻り、その後、青木さんの弟子・清長忠直さん(宇佐市出身)が九代目を継ぎ、十二代まで正統が宇佐市出身。現在、相伝式は宇佐神宮境内にある「武蔵誠心直道之碑」前で開いている。
熊本市の財団法人「島田美術館」の島田真祐館長は「武蔵の資料は(木刀など)間接的なものがほとんど。武蔵が使ったかどうかは別に、宗家相伝の証しとして大切にしてほしい」と話す。【大漉実知朗】
清永忠直氏は私の出身中学の教師(もちろん剣道部担当 私が26歳の時に病死)息女は同級生
2018/10/09に見た「アゲイン28年ぶりの甲子園」7年ぶりに再度
また泣いてしまった!なにか書いてたはずと100年日誌を検索したら、出てきた。なんと7年前のことだった。主題歌は浜田省吾の「夢のつづき」この曲は浜省の10年ぶりの新曲。
君が投げ返してくるボール 日毎速くなり
今ではオレより背も高くて何だか眩しい
だけど話し始めると まだ頼りなく子どもで・・・
明日の朝早く家を出てく息子
遠い街でひとり暮らす君の無事を いつも祈ってる
君が鏡にむかい口紅ひいてる姿母さんの若い頃に似てきて
何だか眩しい今夜のデートの相手は前の奴よりマシだろうか
空高く飛び立ってく娘美しく翼ひろげる君の幸せ深く祈ってる
妻とオレ コーヒー片手に時間が止まったよう
いつか遠く憧れてた場所どこか遠く陽のあふれる場所へ出かけよう
二人でそっと あの頃の夢をたどって
伍代おめでた発表!40歳直前(笑)
2025年5月3日土曜日
今日の学び 啓一ブログより
「名言との対話」4月28日。星野富弘「幸せという花があるとすれば、その花のつぼみのようなものだろう。辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である」
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - 2024年4月28日)は、日本の詩人、画家。群馬県勢多郡東村(現:みどり市)出身。享年78。
2005年にみどり市富弘美術館(当時は村立)を訪問。「詩画」という独自の表現方法を編み出した星野富弘には、ファンが多い。群馬県勢多郡東村に生まれた富弘は群馬大学を卒業後、中学校の体育教師になるが、新任で赴任した直後の6月17日に器械体操のクラブ活動を指導中に首から落下し頚椎を損傷、手足の自由を失う。
「星野富弘 ことばの雫」から
結婚ゆび輪はいらないといった
朝、顔を洗うとき
私の顔をきずつけないように
体を持ち上げるとき
私が痛くないように
結婚ゆび輪はいらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で
私の許に来たあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から
金よりも 銀よりも
美しい雫が落ちている
花から
とりのぞける
ものはない
花に
付け加えられる
ものもない
ちかごろ
花をふたつ描くことが多くなった
妻よ
ひとつは
おまえかも
しれないね
絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。
欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、
調和のとれた作品になるのです。これは私達の家庭も社会も
同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、
助け合うのは自然な事です、
畑も田んぼも山も一つの美術館で、
村の人たちがつくる作物が
村の人たちの作品だと思う。
−−−−−
、、
苦しむ者は、苦しみの中から真実を見つける目が養われ、
動けない者には、動くものや変わりゆくものが
良く見えるようになり、、、
変わらない神の存在を信じるようになる。
十字架に架けられたキリストは、動けない者の苦しみを
知っておられるのだろう。
−−−−
、、
たった一度しかない人生ですから、社会がどうあろうと、
人が何と言おうと、そんなことにひるむことなく、
大切な自分の人生を、志を持って進んでいけたらいい。
志という言葉の中には、日本人らしさ、まわりに流されない
生き方というものが含まれている気がします。
登録:
投稿 (Atom)