集合場所の「宇佐市農業者サポートセンター」での解説
渡辺綱雄氏は宇佐市民図書館での写真等で知ってはいたが、こんな貢献者だったとは!
この渡辺綱雄氏の先祖は、寛永7年⁽1630年江戸期家光時代)、三男ゆえに糸口丘陵にある高村(宇佐市上高・下高)に居を移し帰農した渡辺忠兵衛綱章。(筑後守渡辺光の九代孫で真勝寺住浄雲の三男)
綱章の五男の綱雄(幼名市郎右衛門)が、後に父の通称である傳兵衛を継ぎ高村での糸口渡辺家礎を築く。
*高村は宇佐宮の土器長職に付された地。
*もともと渡辺家は宇佐の豪族。16世紀後半顕如上人に帰依した渡辺統綱(むねつな)
が出家法名を受ける。その子統述(むねのぶ)が教如に師事、真勝寺の寺号を受ける。
時枝城
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