宇佐の山々

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2025年10月31日金曜日

 今日の学び

昨日のプライムニュース

高市外交の「対中試練」は、単なる強硬・融和の二択ではなく、
国益・原則・レッドラインを明確にしつつ、日米同盟と多国連携を軸に進める外交戦略が問われている。

1. リー・クアンユーの「レッドライン的思考」の概要

  • リー・クアンユーは、小国としてのシンガポールの限界(資源、地理、周辺国家とのパワーバランス)を常に自覚しており、「我々は世界を望みどおりには動かせない。現実を直視しなければならない」という言葉を残しています。 The Straits Times+2Centre for International Law+2

  • 例えば、「小国はいざというとき“ただの犠牲者”にならないために、自分たちが他国にとって ‘無視できない存在’であることを示さなければならない」とも説いています。 The Straits Times+1

  • 「レッドライン(越えてはならない線)」という語が直接出てくる発言は限定的ですが、リーは「小国でも相手に対して、『ここだけは譲れない』という態度を示しておくことが抑止力になる」という考えを示しています。 防衛省ネットワーク情報システム+1

  • また、国家防衛の文脈では、シンガポールが「毒をもったエビ(poisonous shrimp)」のように、小さいながらも手を出されれば痛みを与えられる存在となるべき、という防衛戦略的比喩もリー時代に語られています。 ウィキペディア


2. 日本の外交・安全保障における「レッドライン思考」への応用

日本が今後の対外戦略・対中対応を考えるにあたって、リー・クアンユーの思考から学べるポイントを整理します。

・自国の「譲れない線(レッドライン)」を明確にする

日本の場合、例えば以下のような「線」が考えられます:

  • 領土(たとえば尖閣諸島)・領海・領空の主権を侵害されないという線。

  • 台湾海峡の平和・安定という地域秩序の維持をゆるがせにしないという線。

  • 国際法や海洋法規を軽視する行為には黙認しないという原則。
    リーが示した「小国でも相手にとって尊重すべき存在であることを示す」という考えは、これら「線」を相手・関係国に理解させる上で有効です。

・同盟・多国連携を確固たる基盤とする

リー時代のシンガポールは、大国(米中)間の微妙なバランスをとりながら、同盟・多国協力・地域枠組みを駆使していたことが指摘されています。 thediplomat.com+1
日本においても、単独での対応ではリスクが高いため、たとえば:

  • 日米同盟の深化を戦略の軸に据える。

  • 同時に、欧州・インド太平洋地域・アセアン等との多国連携を強めることで、依存し過ぎることを回避する。
    このような「複数の柱を持つ」戦略が、レッドラインをうまく維持するための土台となります。

・現実を直視し、戦略をブレずに掲げる

リーは「我々は世界を望み通りには変えられない。だが、変化に対応できるよう準備しなければならない」と述べています。 The Straits Times+1
日本も、状況が流動的な中で「何を守るか・何を受け入れられないか」という基盤を明確にし、それに基づいた戦略を揺るがせず維持していくことが重要です。
例えば、対中関係において「価値観・自由・法の支配・地域の安定」という線を守るという姿勢を明確にすることで、相手国にも「ここを超えないでほしい」というメッセージを送れます。

・抑止を構築するために「弱さを隠さず、しかし受け身にならない」

リーの「毒エビ」戦略は、地理的・軍事的な弱さを逆手にとって、手を出されればダメージを与える構えを作るというものです。これは日本にも応用可能です。たとえば、日本自身の防衛力(ミサイル防衛、サイバー、防衛技術など)を強化しつつ、あえて「私たちは決して受け身だけではない」という姿勢を示すことが、レッドラインを裏付けることになります。

・コミュニケーションと明確なメッセージ発信

レッドラインを示すには、単に内向きの戦略だけではなく、外交舞台での発信も重要です。リーが小国として「他国のテーブルに入れてもらうためには、自分たちを存在感あるものにしなければならない」と語ったように。 Centre for International Law+1
日本も、国内に対して戦略的な説明を行うと同時に、関係国・大国に対して「これだけは守る」「この状況が起きたら反応する」というメッセージを明確に発信すべきです。


3. 留意すべきポイント・制約

  • リーのモデルはシンガポールという極めて小規模な都市国家であったため、日本とは地理的・安全保障環境・影響力規模が異なる点は留意が必要です。

  • レッドラインを示す際には、あいまい・過度の硬直化・誤解を招く表現は逆効果となるため、明晰かつ柔軟な対応設計が求められます。

  • 抑止・戦略の実効性は、単に言葉で示すだけではなく、実際の能力・政策・行動に裏付けられていなければ信頼されません。

  • 日本国内における世論・政権基盤の安定も、こうした戦略の持続性・信頼性には不可欠です。

2025年10月26日日曜日


 ついでに、石破元総理人物論をGPTとやってみた。

引き際についの論議のまとめ

矜持とは何か ― 敗北に美を見いだす日本人の精神

政治とは、理念と現実のはざまに立つ営みである。
どんな高邁な理想を掲げても、現実の政治は人間の感情と利害に満ちており、結果として敗れることもある。
だが、日本人は古来より「敗北」にも独特の美を見いだしてきた。
それは、結果ではなく去り際の姿勢にこそ人の価値を問うという文化である。

石破茂氏の政治人生は、理性と信念に満ちたものであった。
戦後80年の節目に語った言葉には、国家のあり方、民主主義の本質、言論の自由への深い洞察があった。
だが、三度の敗北を経たあとの姿は、多くの国民の目に「潔さを欠く」と映った。
敗者としての沈黙、後進への譲渡、わずかな間を置いた自己省察――
そうした「終わりの美学」を期待していた人々にとって、氏の言葉と行動は、どこか理屈の延長線上に見えたのかもしれない。

矜持とは、勝者の冠ではなく、敗者の静けさの中に宿るものである。
勝って驕らず、敗れて恨まず、己の責を引き受け、潔く舞台を去る。
その背中にこそ、人は本当の尊敬を抱く。
政治に限らず、すべての生き方において、「終わり方」は次の世代への無言の教育である。

石破氏の理念は正しかったかもしれない。
だが、その正しさを超えてなお、日本人は「美しい退き際」に心を寄せる民族である。
彼の歩みは、理性の時代が感性の国民とどう向き合うべきかという、深い問いを私たちに残した。
矜持とは、勝敗を超えて、いかに自らを律するかの姿勢にほかならない。



伊東市の田久保市長、もう一人??どうなっているのやら?

 啓一の石破総理の所感:戦後80年に寄せての図解を材料にGPTとのやり取りから動画を作ってみた。平田さん著「掩体壕を残すまち」のはじめにも加え、椎野さんへの激励文風に!



2025年10月16日木曜日

イコール「アクティブ・シニア革命」第二号

初号は宇佐図書館だけだったが、今回は中津、高田の図書館に加え内尾整形外科(久恒コーナー用)にも届けてきた。